仮説2つ(笑)2008年01月15日

東京で不思議に思うことが幾つかあるが、今回は二つ取り上げてみよう。(^ ^)
半分ジョークなので、余り深く考えないで下さいませ!

「うどんがなく、ラーメンばかり。」と「アクセントの平板化は進む一方。」の2題について。


★うどんがなく、ラーメンばかり。

粉の焼きもの、つまりお好み焼きやたこ焼きが殆ど見られないのは分かるし、そば屋さんが多いのも何となく分かるのだが、

・うどん屋さんが余りに少なくて、ラーメン屋さんが余りに多い。(また「つけ麺」がメニューとなっているラーメン店が多い。)

うどんがない訳ではないが(安くて)おいしいうどんは少ない。
「なか卯」のうどんが、東京では「上」だと言えば、分かりやすいかもしれない。

大阪などでは、ちょっと安い何かを食べようと思ったら、200〜300円あれば「普通」においしいうどんが食べられる。
しかし、東京ではそれができない。

ちなみに、ちょっと小腹が空いたからたこ焼きでも、ということもできない。これはきつい。(笑)
(たこ焼き屋さんを見つけても、高い! orz)

「高くて美味しい」のは当たり前(素材がいいから美味しいのは当然。)「安くて美味しい」のが庶民のためのプロの腕。

関東にうどんの文化がない訳ではない。脈々とうどん文化は継承されてきた、と聞いている。ただ、気軽に気が向いたらさっと寄れて「かけうどん1杯」という形にはなっていない。


※仮説(?・汗)

基本的に、関東は蕎麦文化が発展しており、饂飩文化は余り発展する必要がなかった。
関西で気軽に饂飩を食べるように、関東では、気軽に蕎麦やラーメンを食べるスタイルが身に付いた。

蕎麦の場合、「ざる」や「盛り」をつゆに付けて食べるため、饂飩やラーメンも同じように、つゆにつけて食べることに、違和感を感じない。

更に「グルメ・ムーブメント」が、ラーメンをグルメな食べものとして、その地位を押し上げた。
「ちょっと1杯」のための饂飩がないため、その需要をラーメンが大きく担うと共に、ラーメンのバラエティも豊かになった。

蕎麦はつゆにつける方が基本で、「かけ」は寧ろ派生形である。だが、ラーメンはスープに浸かっているのが基本で、「つけ」が派生形である。
そのため、「ちょっと1杯」はラーメンがその第一位を占めることになる。


※ちなみに、、、

饂飩は全国的には、「かけ」と「つけ」が共に基本形として存在する。しかし、「つゆ(だし)」が好きな西の文化では、「かけ」が寧ろ基本形である。同時に「つけ」が基本形として存在する地域もある。
大阪や京都では「かけうどん」とは言わない。「すうどん」と呼ぶ。「す」とは「素」のことでベーシックを意味する。

もひとつちなみに、、、

東京での「かけ」の味が蕎麦では合うのに、饂飩では合わない。
つけて食べる蕎麦には、濃い醤油の味が合う。それが、かけ蕎麦に応用されているのだろう。

よく東京の安い飲食店に入って思うことは、単純に出汁を効かせて、醤油を控えれば美味しくなるのに、ということだ。それだけでいいのに。。。

これは、単に濃口醤油と淡口(うすくち)醤油の差ではない。濃口の方が醤油の香りが高い。淡口の方が塩から味が強く、醤油独特の香りは低い。おおかた西の文化では、出汁(だし)を基本にして、これら醤油の使い分けをする。

ただ、残念なのは、最近の外食文化は、関西でも随分と味が濃くなった。出汁の旨みを味わうというより、塩からさが前面に出るようになってしまった。。。
大阪弁の話になるが、標準語では「つゆ」と呼ぶべきところを大阪では「だし」と呼ぶことは普通である。つまり、基本は出汁なのである。

最後に、私事ですが、、、

僕は殆ど(一部のラーメンを除いて)ラーメンは途中で飽きてしまう。1杯を食べきる前に、味に飽きてしまうのだ。
しかし、うどんは飽きない。2杯食べても大丈夫。
ただし、「普通に美味しい」うどんの場合だが。。。

つまり出汁を「普通に」きちんと取って、淡口醤油、味醂、濃口醤油を使って味が調えられているうどんである。
家で作るなら、「ほんだし」等のインスタントの粉末でも十分だし、味醂でなく砂糖と酒でもいい。塩を使ってもいい。よくJRの駅にある「あじさい」より美味しいものができる。


★長くなりましたので (>_<) m(_ _;)m
「アクセントの平板化は進む一方。」については、またの機会に。。。