仮説2つ──続き2008年01月16日

もう一つの仮説(?)を書いてみます。

★アクセントの平板化は進む一方。
もう20年前近くになるだろうか、東京の人やテレビのキー局に出る人達のアクセントが、平板になってきたという話がよく聞かれた。

いわゆる「標準語」というものがあるのか未だに分からないが、私が東京に来て「東京弁」と言ったら、不思議がられたことが何度かあった。
しかし、「東京弁」という言葉を普通に使う人がいることも知り、東京で一般的に話されている言葉を、東京弁と言ってよいと思うようになった。「東京言葉」でもよいのだが、ちょっと長すぎる。

さて、平板化というのは、いい例が思い付かないのだけれど、「マヨラー」といった新語だけでなく、「彼氏」の「か」にアクセントを置かず、ほぼ平板に、或いは「レシ」の方のアクセントを高くして、「カレシ」と発音する。
「〜じゃなくない?」等も、平板化していると言ってよいと思う。


※仮説(?・汗)

この平板化について、十数年ほど前に、私はふと思い付いた。
このアクセントと東北のアクセントは似ている。
大阪出身で大阪に住んでいた私は、こうした言葉と偶に耳にする東北のアクセントの区別がうまくつけられず、かなり似た発音のように感じたのだ。

そこで仮説としては、
東京を中心とする関東圏は、西と東とで分けると「東文化圏」である。
東京へ「上京」してきた人々が「標準語」を話すときに、故郷の「訛り」が入る。その故郷は「関東圏」以外では「東北圏」「も」多く、その東北圏の人々の影響がアクセントの変化をもたらした。

東京は、しかし、日本全国から人々が集まる都市であり、更に、このアクセントの変化が注目されたのは「若者言葉」としてである。そして、当時の若者は既に、東京圏生まれの人々が多くの割合を占めてきているはずである。
これは辻褄が合わないのではないか?

それについてはこう考えた。いわゆる「団塊の世代」を初め、現在の東京に住む50代以上の人々の多くは、東京以外からの出身者である。
特に「集団就職」のあった頃、東京の人口は急に伸びた。集団就職は東北、北陸からが多く、つまり、その世代だけ見ると、東京の人口に占める比率が高い。

そして、その人々の子ともの世代が、当時の若者言葉として現れている、と考えられた。
親の言葉(方言)の影響を受けた世代が、アクセントの平板化を生んだ理由の一つではないか、と思ったのだ。

当時、この話をある友人にしたら一笑に付されたが、東京に住んでより本当に思えるようになった。

この仮説が正しいかどうかは、どうでもいいと言えばどうでもいい。ジョーク半分なので。(^ ^)
ただ、標準語と東京弁はイコールではなく、また標準語なるものも存在しないだろう、ということの方が重要だ。

東京へ来て面白いなと思ったのは、やはり「江戸弁・江戸言葉」というものはあり、その江戸言葉と標準語とは全くと言っていいほど異なる、ということである。

そして、もっと大切に思うのは、ある程度は「共通語」として誰もが分かるような言葉を使うのは、首都である東京では必要だと思うが、むやみに故郷の言葉を、確定性のない標準語に合わせる必要はない、ということである。
どこの土地の出身者であれ、自分が生まれた土地の言葉は、相手に通じる程度に変えるだけでいいと思う。(時には通じないくらいの方が、面白いとも思う。)

東京はもっと、故郷の言葉を皆が使えるような街であって欲しいし、実際に皆がもっと故郷の言葉を使って、それが互いの文化を伝えるきっかけになるとしたら、とても素晴らしいと思う。

仮説2つ(笑)2008年01月15日

東京で不思議に思うことが幾つかあるが、今回は二つ取り上げてみよう。(^ ^)
半分ジョークなので、余り深く考えないで下さいませ!

「うどんがなく、ラーメンばかり。」と「アクセントの平板化は進む一方。」の2題について。


★うどんがなく、ラーメンばかり。

粉の焼きもの、つまりお好み焼きやたこ焼きが殆ど見られないのは分かるし、そば屋さんが多いのも何となく分かるのだが、

・うどん屋さんが余りに少なくて、ラーメン屋さんが余りに多い。(また「つけ麺」がメニューとなっているラーメン店が多い。)

うどんがない訳ではないが(安くて)おいしいうどんは少ない。
「なか卯」のうどんが、東京では「上」だと言えば、分かりやすいかもしれない。

大阪などでは、ちょっと安い何かを食べようと思ったら、200〜300円あれば「普通」においしいうどんが食べられる。
しかし、東京ではそれができない。

ちなみに、ちょっと小腹が空いたからたこ焼きでも、ということもできない。これはきつい。(笑)
(たこ焼き屋さんを見つけても、高い! orz)

「高くて美味しい」のは当たり前(素材がいいから美味しいのは当然。)「安くて美味しい」のが庶民のためのプロの腕。

関東にうどんの文化がない訳ではない。脈々とうどん文化は継承されてきた、と聞いている。ただ、気軽に気が向いたらさっと寄れて「かけうどん1杯」という形にはなっていない。


※仮説(?・汗)

基本的に、関東は蕎麦文化が発展しており、饂飩文化は余り発展する必要がなかった。
関西で気軽に饂飩を食べるように、関東では、気軽に蕎麦やラーメンを食べるスタイルが身に付いた。

蕎麦の場合、「ざる」や「盛り」をつゆに付けて食べるため、饂飩やラーメンも同じように、つゆにつけて食べることに、違和感を感じない。

更に「グルメ・ムーブメント」が、ラーメンをグルメな食べものとして、その地位を押し上げた。
「ちょっと1杯」のための饂飩がないため、その需要をラーメンが大きく担うと共に、ラーメンのバラエティも豊かになった。

蕎麦はつゆにつける方が基本で、「かけ」は寧ろ派生形である。だが、ラーメンはスープに浸かっているのが基本で、「つけ」が派生形である。
そのため、「ちょっと1杯」はラーメンがその第一位を占めることになる。


※ちなみに、、、

饂飩は全国的には、「かけ」と「つけ」が共に基本形として存在する。しかし、「つゆ(だし)」が好きな西の文化では、「かけ」が寧ろ基本形である。同時に「つけ」が基本形として存在する地域もある。
大阪や京都では「かけうどん」とは言わない。「すうどん」と呼ぶ。「す」とは「素」のことでベーシックを意味する。

もひとつちなみに、、、

東京での「かけ」の味が蕎麦では合うのに、饂飩では合わない。
つけて食べる蕎麦には、濃い醤油の味が合う。それが、かけ蕎麦に応用されているのだろう。

よく東京の安い飲食店に入って思うことは、単純に出汁を効かせて、醤油を控えれば美味しくなるのに、ということだ。それだけでいいのに。。。

これは、単に濃口醤油と淡口(うすくち)醤油の差ではない。濃口の方が醤油の香りが高い。淡口の方が塩から味が強く、醤油独特の香りは低い。おおかた西の文化では、出汁(だし)を基本にして、これら醤油の使い分けをする。

ただ、残念なのは、最近の外食文化は、関西でも随分と味が濃くなった。出汁の旨みを味わうというより、塩からさが前面に出るようになってしまった。。。
大阪弁の話になるが、標準語では「つゆ」と呼ぶべきところを大阪では「だし」と呼ぶことは普通である。つまり、基本は出汁なのである。

最後に、私事ですが、、、

僕は殆ど(一部のラーメンを除いて)ラーメンは途中で飽きてしまう。1杯を食べきる前に、味に飽きてしまうのだ。
しかし、うどんは飽きない。2杯食べても大丈夫。
ただし、「普通に美味しい」うどんの場合だが。。。

つまり出汁を「普通に」きちんと取って、淡口醤油、味醂、濃口醤油を使って味が調えられているうどんである。
家で作るなら、「ほんだし」等のインスタントの粉末でも十分だし、味醂でなく砂糖と酒でもいい。塩を使ってもいい。よくJRの駅にある「あじさい」より美味しいものができる。


★長くなりましたので (>_<) m(_ _;)m
「アクセントの平板化は進む一方。」については、またの機会に。。。

拙速だったかな2008年01月14日

東京へ来てから4年目に入った。
近ごろ寒いので、キーボードを打つ手も思うように動かない。。。orz

ところで、「拙速」と書いたのは、この東京へ来たことである。
東京自体が悪いわけでもないし(嫌悪すべきものでもないし) 東京にはいい所が沢山あるのも知りつつある。
ただ、あの当時、数年前に東京へ引っ越す、というのは、「私の」判断ミスだったと思っている。
拙速な判断だった、と。もう半年余裕を見るべきだった。

私は今まで生きてきて、後悔したのは2、3回くらいだと思っているが、この拙速な判断ミスを、ひょっとしたら、私は将来その仲間に入れることになるかもしれない。(いや、入れないような気がするなぁ。笑)

もう一度、念を押して書くけれども、東京自体を嫌う対象にしたいとは、全く思わないし、それは的外れだ。
更に、東京で得たものは非常に、非常に大きい。
ただ、拙速な判断だったかもと振り返ってみた。

ということは、後は、今そして今後どうするか?を考えるだけである。

ああ〜漫才見たいよ〜!(笑)2007年11月11日

どうして東京のテレビは漫才(ついでに吉本新喜劇を含む(^ ^))を放送してくれないんだろう(T_T)

それだけです。。。

★以下はどうでもいいんですけど、ちょっと思い出したので…。(^^;

──まあ皆さん、聞いて下さい。
日本のフォーク界の大御所、井上陽水の歌。
「探し物はなんですか 見つけにくいものですか」
何を歌っとんねや。
こっちは煙草がないから、さっきから探してるんや。
ただでさえイライラしてるのに、余計イライラするがな。
責任者、出て来い!

──何言うてんねや。
そら、あんたが悪いんやないか。
ほんま、何でもぼやくなあ。このドンガメ!

★もう一つ。。。

──落としもんひろたんかいな。交番届けるて、えらいな。そらありがと。
ほな、ちょっと聞いとかなアカンのでな。
住所は?

──えぇ、大阪府……兵庫県……。

──そないな住所、どこにあんねん!

★ああ、こんな漫才、ききたいなあ。。。

東京都の「ホームレス地域生活移行支援事業」について2007年06月02日

☆東京都、また大阪府もそうですが、今まで、いわゆるホームレスの“排除”という行為を折につけ行ってきました。

2年前の「ホームレス地域生活移行支援事業」という政策は、路上生活から“住宅”のある生活へ、ホームレスの方々を“移行”させるという事業でしたが、実態として、2年経ったところで“住居”から追い出そうという方向に転換(?)されたと報告されています。

「ホームレス地域生活移行支援事業」裁判が始まるところですが、その裁判を前に「明け渡し通告書」まで送られてきている始末です。

詳細は以下のサイトをご覧ください。

http://web.mac.com/soup1994_2/

『「ホームレス地域生活移行支援事業」裁判を支える会』の「緊急署名」をここですることができます。

☆ホームレスの方々を“追い出す”という形で、東京でも大阪でも、青テントやダンボールで作られた“家”が強制撤去されてきましたが、上のようなやり方は、「支援事業」と言いながら、これではだたの“排除”です。

元々、ホームレスの方の人権を考慮することもなく、住んでいる場所を“強制的に”撤去していく、その考え方自体がおかしいと思っている僕は、この「事業」がこのような形で進められているのなら、余りにひどいやり方と断ぜざるを得ません。

多少、余談かもしれませんが、、、
少し前に、「東京マラソン」がありました。(都知事選の前でしたね。)
その構想自体は悪いとは思いませんが、それがために、実は少なからぬホームレスの方の家(寝床)を撤去していくという作業が行われていました。

そこまでして行うべき行事だったのか、と疑問を覚えます。東京マラソンのニュース映像を見ながら、そのどこかで生活していた人がいて、いわゆる炊き出しがされていたんだと思うと、非常に複雑な気持ちになりました。

マラソンコースの中から或る人々は生活の場が失われ、その支援グループも、また今までと別の仕方で支援することになりました。
「東京マラソン」は、マスコミでは“明るい”話題として取り上げられていましたが、僕にとっては、どうしても明るい話題とは感じることができずにいました。。。