ISUの余りに深い罪(2)2013年08月26日

 誤解しないでほしいのだが、ここで私は、Yu-naサイドが不正をしているのではないかとか、そういうことを言おうとしているわけではない。ISUの行っているジャッジング、採点や判定が納得できないと言っているのである。正直に書くと、前者のように言いたい気持ちは強く持っているが、証拠がないから言えないし言ってはいけないだろう。だから、今はそんな野暮なことはしないけれども、採点が納得できずおかしいからイライラして、おかしい、変だと書かざるを得なくなってしまっているのだ。
 では、何故おかしいのかを当然ながら問うことになるが、残念ながら、私にはそれを検討するだけのデータがない。よって、ここでは採点に疑念を抱かせるようなジャッジング・システムを変更すべきだと主張する。
 疑念を抱かせないためには、何といっても判定の透明性を確保するのが一番である。民主主義の基本的な約束事でもある。先ずは、匿名をやめてジャッジの名前または国籍を公開すべきだ。これだけでも相当の透明性を確保できる可能性がある。
 現行のような“ジャッジされる”側に圧倒的に不利なシステムは、フィギュアスケートの発展を妨げている。ジャッジ、審判がこんなにも保護される理由を、私は思い付くことができない。反対に競技者、スケーターは保護されていない。
 だから、先ずジャッジ(の名前または国籍)を公開制にして、それから次に、ルールの改正と監視システムの強化を図るのがよいだろう。
 ルールについては、現在でもそれほど悪いわけではない。(しかし、旧方式、6.0システムに比べて良いとも言きれない。)順次の改正と良心的な運用が行われればよいと思う。監視システムは今でも存在しているが、ほとんど機能していないように見える。もっと権威を与えて、判定に反映させるように変更したほうがよい。
 さて、以上だけの変更でもかなりの改善が期待できるのではないか。特にジャッジの非匿名方式、公開制はきょう明日にでも決定していいだろう。早すぎるということはない。

 ISUの現在のルール(新採点システム/CoP)は、もともと2002年ソルトレイクシティ・オリンピックでの不正疑惑があったから作られたものである(ことになっている)。それより前、80年代や90年代にもスキャンダルはあった。その中には、JSF(日本スケート連盟)が関わったものもある。
 確かに新採点システムは画期的であった。私が伊藤みどりさんを見てフィギュアスケートを好きになってから、このような“数字に溢れた”採点方式が誕生するとは思ってもいなかったし、慣れるのに苦労した。
 では、旧方式に比べて新システムはそんなに良いものなのだろうか。これに対する答えは難しい。良くなった部分もあれば、悪くなった部分もあると言うべきだろう。
 悪くなったとよく言われるのは、総合的な判断がなされにくくなったという点だ。以前のほうが、技術と芸術が、テクニカルとアーティスティックな面が見事に融合されていたという、強い感覚である。これはそうかもしれない。しかしだからといって、旧方式の中に、感性に訴えかける傾向が強くなる潜在性があるのも否めず、それは余り好ましくない。また、採点が分かりづらくなったともよく言われる。私自身、新システムをいまだに理解できていない。
 そうかといって、新システムのほうが合理的だからよい、と主張するのは間違っている。実際、新システムは合理的というより、主観的という形容のほうが似合っている。新システムの難しさの原因も、必ずしも論理的、合理的になったからというわけではない。基本的に、“足し算をする”というルールになったのだから、数字を足していけば何となく“総合点”にたどり着く。
 ちなみに、合理的=理性的という概念は総合的という意味合いも強く、感性的/合理的という対立で考えることが間違っていることも付け加えておこう。

★(3)へ続く。

ISU の余りに深い罪 (1)2013年08月25日

 ISU(国際スケート連盟)の採点に疑問を持つ声を耳にする。まさに私がその一人である。といっても、全ての採点、判定に対してではない。キム・ヨナ(Kim Yu-na)選手に関してだけである。
 私が疑問を感じ始めたのは、2009-2010のグランプリ・シリーズからだ。決定的におかしいと思ったのは、2010年、トリノの世界フィギュアである。
 明らかに、世界フィギュアでのYu-naの出来はひどかった。フリー・プログラムの演技を見て、ひょっとして彼女は表彰台を逃すかもしれないと私は思った。というより、この大会でのショート・プログラムは全く精彩がなく、続いてフリーもこれでは、入賞できればいいところではないかと思ったのだ。
 しかし、驚くべきことに、彼女はフリーでは一位の得点、ショートとフリーを合わせて二位、つまり銀メダルという、およそ信じられない結果を残した。私は開いた口が塞がらなかった。
 確かに、世界フィギュアの前月に行われたバンクーバー・オリンピックで、彼女は考えられない高得点をマークして優勝した。だが、それはオリンピックという“お祭り騒ぎ”での出来事であって、より“マジメな”世界フィギュアとは別の話だと思っていた。にも拘らず、世界フィギュアで、少なくとも2回の大きなミスがあり、全体の流れも相当悪かったのに、あり得ない高得点が付けられた。私にとって完全に謎の高得点であった。

 ISUの採点については、今年、2013年世界フィギュアでも疑義が呈された。男子シングル金メダリストの P.チャン選手に対してだった。ミスが多かったのに点が高すぎる、というわけだ。
 しかし私は、P.チャンの得点にはそれほど違和感を覚えなかった。彼の点数は私の予想の範囲内であったし、実際、彼の成功した時の滑りには世界一の貫禄がある。
 私自身、時に、P.チャン選手や羽生結弦選手の得点は高すぎるかもしれないと思うことがなくはない。けれどもそれは、適切な表現ではないかもしれないが、一種の“誤差”の範囲内にとどまるものだ。
 競走や競泳なら、あるいはサッカーでさえ、スポーツの勝敗は比較的分かりやすい。しかし、フィギュア・スケートのように、ジャッジ/審判が“演技の評価”をするスポーツでは、勝敗の結果に対して万人が納得できるということは難しい。
 ある種の競技でもそういう難しさはある。先に挙げたサッカーにしても誤審があるし、また野球にも誤審がある。柔道の国際試合では誤審が多すぎて嫌になる時があるほどだ。つまり、スポーツ、競技においては勝敗、判定、得点に対して必ずしも万人が納得しているわけではない。
 ただそれでも、ほとんどの場合、人間の判断することだからミスや何らかのバイアスがあってもおかしくないと考えて、私や多くのオーディエンスは納得する。あるいは納得せざるを得ない。その事情はフィギュアも同じである。
 しかしながら、フィギュアでは、私が未だに納得できない判定がかつてなされたし、それが訂正されていないから、今後もなされるかもしれない。
 P.チャンの得点にはそんなに違和感を感じず、想像していた範囲内の得点がつけられた。が、Yu-naの場合、私の想像を遥かに超えた得点が、特に2010年以来は常に、付けられている。
 冒頭に述べたように、今のところ私が納得できない判定には、多くのスケーターのうち、ただ一人のスケーターのみが関わっているのである。

★ (2)へ続く。

(ド?)遠視、白内障のこと2009年06月20日

初めて「眼科検診」というものを受けた。
今まで、視力で引っ掛からなかったので、眼科の検診は受けたことがなかった。

よく「ド近眼」という言葉が言われるが、僕はきつい遠視で、いわば「ド遠視」なのだそうだ。
山や海、空、つまり自然を見ている場合は余り負担がかからないが、「部屋」のものを見ているときは、常に目に負担をかけているらしい。
部屋だけでなく、都会のような遮るものが多いところでは、人はもちろんのこと、少し離れた建物なども目には負担になっているという。
よく人込みでクラクラする、いわゆる「人に酔いやすい」のは、こんなところにも原因があったようだ。

どおりで、近くのもの、たとえば文字を読んだりすると、目に疲れを感じやすい訳である。
「読む」「読解する」にはかなり集中力が必要だと普段から感じているけれども、わざわざ目を近づけて何度も同じ部分を繰り返して見るのだから、当然かもしれない。

子供の頃からの頭痛持ちも、こんなところに原因があるのかもしれない。

不思議だが、僕は近くのもの、特に文字を読むとき、意味をよく取ろうとすればするほど、相当に目を近づける癖がある。じゃあ、これは余り目にはよくないんだなぁ…。すぐ頭痛になるし(溜息)

確かに、そう言われてみて、活字を近づけてみたら、あるところまではよく読めるが、途中から全く読めなくなる! 知らなんだ。というより、それは当たり前だと思っていた。

子どもの頃、よく空を眺めていた。また、遠くにある山や建物、看板、小さく見える人々、つまり遠くで歩いている人、そして犬や猫を見るのがとても好きだった。
確かにそうするほうがストレスを覚えない。これは、目のことに限らず、精神的に皆、そんなところがあるのではないだろうか。

「検診」でなければ、すぐに検査をして眼鏡をかけることを考える、とおっしゃっていた。
僕が「近い将来……」と言いかけたら、いや、今からすぐにでも眼鏡をかけることを勧めますよ、と言われた。眼鏡をかけていてもいなくてもだが、いずれ、遠視用のレンズはどんどん分厚くなっていくから、今から薄いのをかけて目の負担を少なくしておくといい、という。

はぁ。そんなものなのか。

目のレンズ=水晶体も濁りがあるという。
え?
白内障だそうで、あらら、「アラフォー」でも白内障になるものなのか。「原発的」と聞こえたので、自分で思っていたより目だけでなく、脳神経その他も苦労をしていてくれたんだなぁ。

詳しい検査をしてから、白内障治療と眼鏡について方針を考えましょう、とのことだった。

東京に来てから、視力も落ちてきた。
目がいいのだけは自慢だと思っていたので、多少がっかりしているが、目には知らないところで大きな負担をかけていたようだ。

そろそろ、眼鏡デビューの時期みたいです。(^ ^)

続・年賀状……2009年03月22日

年賀状……
実はまだ出していない。。。(ーー;)

印刷はしたのだけれど、
そして、旧正月には出そうと思っていたのだけれど、、、
まだ出していないのである〜!orz(涙)

せっかく郵便局のいわゆる「年賀状」を買ったのだから、
この時期になっても送るつもりでいる。(汗)

もう、こうなったら、季節の節目節目の何かを目標にして
(残念ながら、春分は過ぎてしまったので、
 例えば、お彼岸とか雀始巣、桜始開、清明とか……)

……送らせていただきたい、と考えています。。。m(_ _)m

年賀状……2009年01月04日

まだ全く手を付けていない状態です。orz
(旧正月に送ろうかなぁとか。。。)

挨拶が遅れました。

あけましておめでとうございます。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします☆