もみじ市2008♪2008年11月01日

いま思い出しても、胸がキュンとする。(ちょっと照れ臭い。汗)
先日のこと、多摩川の河川敷で「もみじ市」という催しがあった。

☆公式のブログがあります。
http://tegamisha.cocolog-nifty.com/momiji2008/

概要については、このブログをご覧いただくのが一番だだろう。
写真も載っているので、雰囲気が伝わることと思う。
「和泉多摩川」の駅が最寄りで、最近、小田急線に縁があるなぁ。

僕も写真を幾つか撮っているので、アップしたいと思ったけれど、
フィルムカメラだから、スキャンをしないといけない。(>_<)
それに、今回撮った写真の中には、高野寛さん、コトリンゴさんも
写させていただいたので、実は、大事にしまっておきたいという気持ちが強い。
ああ、写真を見ると、また胸が温かくなる。(ぽっ…)

この日、もともとは仕事があって行けないはずだったのだが、
妻の力添えが大きく(ありがとー!)行くことができるようになった。
僕が事前に知っていたのは、コトリンゴさんがライブをするということくらい。
が、それだけで十分に行きたかった。

しかし仕事と重なるので、諦めていたところ、仕事に行かなくてよくなったと同時に、
高野さんの出演が、いつの間にか決まっていたのを知った。
(いつも高野くんと呼んでいるけれど、失礼に思うため「さん」で書こう!)

風邪が治りかけといった状態だったけれど、このお二方がライブで出演されるのだ!
じっとしてはいられない気分♪
僕の所用のため、会場に着いたのは高野さんの演奏の途中になってしまい、
コトリンゴさんのライブには間に合わなかった。

それでも、非常に近くで高野さんの曲を聴くことができた。(^ ^)
アンコールを2曲も歌って下さって、深々とお辞儀をして楽屋へ戻る高野さん。

と、そこで気づいたのだが、楽屋はテントでできている。
一つはキャンプで使うような三角形のテント、
一つは屋根だけ張る、運動会などでよく見るようなテント。
そしてそして、なんと! お二人とも、そこにおられるではないか!!

1時間くらいか、それ以上か、よく覚えていないけれど、
僕と妻と二人で、ずっと同じ場所にいた。
高野さんとコトリンゴさんのお二人が帰るまで。
なんという幸福な時間だったろう!
今でも思い出すと、胸がキュンとするのだ。

高野さんのご家族もいらして、お子さんの愛らしいこと!
ふだんは見ることのできない楽屋を、覗かせてもらった気分。
でも、できるだけ、お二人の邪魔をしないようにと思いつつ。

持っていったレジャーシートに座って──そのレジャーシートは、
8月の「World Happiness」という野外フェスでいただいたもの──
あの、いまの時代に特別に素晴らしい音楽を作って下さるお二人と同じ場に、
妻と並んで多摩川の横にいると思うと、嬉しくて嬉しくて……。

幸福はやはり実際に体験できるのでした。(^ ^)


・追記♪
 写真を1枚アップいたしました。(11/2)

ベロッティ先生。2008年11月01日

最近、音楽ネタが続いています。(^ ^)

これも先日。
教会で「レクチャーコンサート」という名目で、
世界的なオルガン奏者、
エドアルド・ベロッティさんを迎えての演奏会があった。

その名の通り、最初に演奏曲目についてベロッティ先生から解説があり、
その後、演奏がなされるという形式だった。

この演奏会には教会の聖歌隊も参加していた。
実は、その聖歌隊の中に私の妻も在籍しているのだ。
ベロッティさんと共演!である。

よい共演だった。実際、他の方からも好意的な感想を聞いた。
ベロッティさんのサイドから共演の依頼があったと聞いていた。
より聖歌隊にはプレッシャーのかかる話である。成功、おめでとう!!
(「成功」という言葉は余り好きな言葉でないが、ここではいいだろう。)

どの演奏にも聞き惚れて、楽しんでいた私だったけれど、
最後に演奏された、J. S. バッハのフーガ(BWV582/2)には、
驚きを伴った感動を覚えた。

その一つ前の曲が、J. クーナウという作曲家のもので、
それは「ギデオン」(の活躍)をテーマにした曲で、
とても面白いものだったのだが、
次のバッハの曲になって、あっと声をあげてしまった。

明らかに何かが違うと感じた。クーナウの曲もいいのだが、
次のバッハで、恥ずかしながら少し涙を流してしまった。
こういうとき、音楽の深みに、
私のような者でもほんの少しは触れることができたのかな、と思う。

いや、先日の高野さんの演奏でも泣いたけれど、
そのときも音楽の何かに触れ得たのかなと思っている。
音楽とは何とも素晴らしい! 素晴らしい!

最後になりましたが、
遠くから来て下さった方、ありがとうございました。m(_ _)m (^ ^)

ハンマースホイ。2008年11月01日

このところ、音楽の話が続いていた。
ちょっと趣を変えて(?)絵画の話でも……。

いま上野の国立西洋美術館で、W.ハンマースホイという画家の展示をしている。
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

「静かなる詩情」というサブタイトルが付けられている。
そのタイトルは、的を射たものだと思う。
ただ、もちろん絵画はその絵画の一回性でのみ語られるものである。
ハンマースホイを気に入った妻は2度目の来訪だった。

私がふと感じたのは、アンビエントミュージックである。
この静けさはどこかで感じたことがあると思ったら、
それはある種の音楽に似ているのだ。
無機的な印象とともに、不要な装飾は一切ない表象の存在、
それでいて何かあたたかみがある。

こうした絵は、いくら画家が違うと主張しても、
それを見るものにとっては、決して<思い付き>に
慣れてしまったような「手」からは生みだされない。
それは、私が好きな音楽と同じだ。
だから、アンビエントと呼ばれる音楽も同時に呼び起こされたのだろう。
(こうしたジャンルの「くくり」は、ときに説明には便利でもある。)

不可思議な空間、おそらくは画家のみの空間と人物
──その人物が特に印象的なのは、後ろ姿であることだ。
奇妙で単純な(簡単という意味ではない)配置は、
一旦は不安定なところへ自分を追いやるが、
実は、そここそが安定かもしれないとも思う。

画家の妻であるイーダがよく描かれている。
正面から人を描いた絵は少ないのだが、
虚ろな目をしたイーダの絵があって、
それを見たリルケが、ハンマースホイに会いに行った
というエピソードが紹介されていた。

虚ろな、というのはその「解説」に書いてあった言葉で、
その絵は先ずは「虚ろ」と言っても構わないものだったけれども、
これを虚ろと言ってしまってはいけないような絵でもあった。
確かに突き放しているようでありながらも、
包んでいるような絵でもあったからだ。つまり、やさしい。

デンマークと言えば、キルケゴールのいた国でもある。
北欧の気候も彼らに影響を与えていたに違いない。

無音より静かな音、という逆説的な比喩が私はとても好きである。
私が好きな音楽(アンビエントとしてくくると、本当はもったいない)
の比喩としていい言葉だと思う。
そして、この比喩は、ハンマースホイの絵にも言っていいと思った。