小林秀雄と河合隼雄の言葉から… ― 2008年06月25日
Somebody please what's wrong with me?
(以上、YMO『Key』より)
という訳で、調子はよくないんですが、
そろそろ何か書いてもいい頃かと。。。(笑)
でも、自分の言葉を書くのが面倒なので(汗)
引用をして「覚え書き(メモ)」とさせていただきます。
一つめ……は、既に最初に引いてしまいました。
次は、小林秀雄さんの言葉から。
言葉は目の邪魔になるものです。例へば、諸君が野原を歩いてゐて一輪の美しい花の咲いてゐるのを見たとする。見ると、それは菫の花だと解る。なんだ、菫の花か、と思つた瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのをやめるでせう。
(以上、小林秀雄『無私の精神』より)
最近よく耳にする事柄がある。それは、ここに書かれているように、
言葉や知識の「邪魔」であることを、強調するものである。
いや、これは随分前から、言われていたことでもある。
私が学生のころだって、
「体験してなんぼ」「先ずはやる(行動する)こと」と、
耳しげくいわれた経験がある。
(↑これは余り適切ではないかな?)
例えば、「感じたままに作文を書いてみなさい」
「絵を何も考えずにただ感じよう」
「無心に観察してみよう」とか……。
しかし、敢えて上のように、
小林秀雄のような言い方を引っ張ってきたら、
何処か釈然としない心持ちを覚えるのではないだろうか。
或いは、私は思うのだけれど、
釈然とした心持ちを持たないほうがおかしい。
ただし、この引っ張り方もおかしい。
つまり、わざわざこの一文だけ出してきても、前後の文脈が見えない。
それにしても、ここで引用した言葉には、考えることを
強要させるだけの力がある。
言葉そのものを言葉が問うている。
この小林秀雄の引用は、知っている人も少なくないかもしれない。
私は最近知ったのだが、
この文章は、早稲田大(文学部)の入試問題に使われて有名なのだそうだ。
受験勉強をしていた若い人には馴染みがあるかもしれない。
とまれ、この深い問いを、深い問いであるにもかかわらず、
学校の先生から中途半端に問われると反発するだろう。
次に、次に河合隼雄さんの文章を引っ張ってみる。
ロージャズが言うように、カウンセラーは別に理論を知らなくても、クライアントの言うことを受容しておれば、治療が進んでゆくことは確かである。それを一歩進んで彼は、カウンセリングが成功するに必要にして十分な条件まで示している。この条件さえあればしろうとでも何でもカウンセリングができるというのだから、全く魅力的であり、このためカウンセリングの普及に役立ったことは忘れてはならない。しかしこのような表現は
、ひとつ落とし穴を持っている。そのことをわかりやすくするために、野球を例にとってみよう。
野球を始めようとするとき、打撃のフォームについて教えられ、そのうえ投手の投げる球の種類、その配合の組み合わせ、あるいは投手のくせなどをいろいろと教えられると、そんな複雑なことはしたくないと思うだろう。ところが、何でも打っていいと言ってもらえれば、する気も起こってくるだろう。
ここで、ヒットを打つために必要な条件は、確実にミートする、力いっぱい振る、野手のいないところに打つ、の三条件であり、「これさえできれば、誰でもすぐにプロ野球の選手になれる」と言えば、いったいどう思うだろうか。この話をきいて、どんなしろうとでもすぐにプロ野球の選手になれると思うバカな人はいないだろう。つまり上述の三条件を満たすこと自体が大変なことなのである。
……(中略)……
ロージャズの言っている条件は、これにやや近いところがある。
……(中略)……
しかしフォームの研究や投手の研究ばかり熱中して理論は詳しいが、バッターとなったときに確実に打てない打者では話にならない。しかし、一方、理論などは不要で打てさえすればいいのだと豪語していても、結局相手の投手に対する研究不足で打てなかったらなんにもならない。
(以上、河合隼雄『カウンセリングと人間性』より)
ロジャーズ(ロージャズ)は、クライエント(来談者)中心療法を唱えた
有名な心理学者で、私はとても好きである。
今でこそクライエント中心主義という考え方は主流になってきているけれども、
当時は、「指示的精神療法」と呼ばれるほうが主流だった。
というより、それしかなかったと言えるかと思う。
つまり、治療者が患者に「指示」するのみ、ということだ。
今でも、精神科医の中には、「指示的」療法しか行わない人がいるようだが、
さすがに、カウンセラーの中では、
ロジャーズ的な考え方が浸透してきているのではないかと思う。
「ロジャーズ派」という名称も存在するが、
実際にロジャーズの許で研究をした者に言わせれば、
「これ」といった「療法」が存在していた訳ではないらしい。
さて、ここまで書いたなら、じゃあ、あなたはどう考えているのか、
という場面に移るのが本筋である。
が、最初の引用、
「I feel so bad my spirit's weak」という言葉から、
私の話は、機会のあれば書くことにする(「覚え書き」なので)。。。
(考えることの放棄や〜。orz)
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