treat yourself ― 2007年06月30日
See how the world goes round
You've got to help yourself
See how the world goes round
Then you help someone else
……(中略)……
And you may help me
※一応、僕の簡単な訳を付けておきます(^^;恥ずかしいですが。。。
世界がどんなふうに動いているか見てみよう
君は自分を救う必要があるんだ
世界ってどんなふうにまわっているんだろう
それからだよ、君が他の人を救うのは
……(中略)……
そうしたら君は僕を救うことができると思う
細野(晴臣)さんによれば、当時(1983年頃)ニューヨークでは、「Treat Yourself」(「自助」と訳される)という標語が使われていたらしい。そして、この曲はその標語と無縁ではないという。
この標語(メッセージ)は、その対象が子どもであったことに大切な意味がある。(細野さんいわく、それが大人の願いかもしれないとしても。)
つまり、自分で自分を助ける/救う力を子どもに持って欲しい、そういう意味が込められていた。
この歌詩は、
ピカピカの靴を脱いで
煙草を消して
大事な指輪を外したら
……
と続いていく。
これは、いわば自分を飾っている、或いは必要以上に持っている様々なモノ/コトを外していく、ということだ。
この歌詩の英語部分(最初に引用した部分)では、「世界を見ること」と「自分を救う/助けること」が、“初めに”語られている。
実は、このことは、現在でも僕の課題でもある。
この二つのことの、何と難しいことか。
或る人は、こういう詩/語りを“甘さ”の側面から捉えようとし、“理想”の側面から捉えることによって、批判的な言葉を使う。
しかし、この二つのことの、何と難しいことか。
この二つのことをするには、時間もかかればエネルギーも必要だ。“現実”や“歪んだ実存”的な言葉を使って、これらを批判することも可能だろう。
しかし、歪んだ実存でなく、実存を見つめる人は、ここに難問を見出し、その難しさが故に、一市民の平凡さと真剣さを感じ取ることができる筈だ。
実存(主義)というのは、一般的に“厳しい”ものと思われているし、実際その側面も強い。しかし実は、実存の立ち現れは、やさしさの立ち現れでもあり、あたたかさの立ち現れでもある。
厳しい生き方とあたたかい生き方の共存を、実存という言葉に見て取られないならば、実存的な考えや動きはできないだろう。
“実存”という言葉について長く書きすぎたが、これを一側面の“厳しさ”として捉えるだけでは、到底その思想を動くことはできない。
実存という語は、哲学的な述語だから馴染みにくいけれども、自分の生き方に理想をまじえて語ることと、とても密接な用語である。
自分の理想を言語化してそれを他人に対して押し付けがましく語ることと、実存的な動きをすることとは、実は、私は全くベクトルが違うと思っている。
初めに戻ろう。
世界を見、自分を救うことは、一人の人間にとって、実に遅々とした歩みになるのは間違いない。天才ならば可能かもしれないが……。
この二つが示すことは、人は人それぞれであることの認識である。人はみんな違う。その当たり前のことの認識である。
世界を見るとはそういうことだ。自分を見るとはそういうことだ。
その認識なくして、実存とか生の理念、より俗な言い方をすれば、生き様や死に様を語ることは、不毛である。
この二つのことの難しさに直面してしまった人は、よりやさしくなる筈だ。難しい故に、語ることの難しさを知るからである。
もう一つ重要なことは、難しいから、ゆっくりでいいのだ。ぼちぼちでいいのだ。ゆるゆるでいいのだ。
何かに焦る人は、他人を“自分だけの理想”に巻き込もうとして、強い言葉を使い、他人を脅かす。それが、実は重要な“別の理想”を妨害しているかもしれないことにも気付かずに。
この後、日本語詩の部分で、次のような件がある。
上手な化粧を落とし
心の奥を
鏡の中に映してみよう
ここに、自分を見ることと世界を見ることのやり方と、自然体に近づきたいという思いが表れている。自分を見る、自分の世界への関わりを見る、世界への自分の関わりを見る、世界の現れを自分を見ることで見る。世界を見ている自分を見る。
更に、日本語詩の後ろの方では、
生きてる自分を愛してみよう
と歌う。つまり、You've got to help yourself ということだ。このやさしい言葉が出てくるのが、この曲の核の一つと考えることは可能だ。とうのは、「treat yourself」も「help yourself」も自身をどう扱って、どう助けていくかがテーマの一つであり、それを歌詩として制約された短い言葉にするなら、「生」と「愛」という抽象的で多少なりとも曖昧ではあるが、同時にリアルな言葉を使うことが、詩として許されると思うからだ。
難しいことは難しく、遅々とした歩みでよいのだ。「知らないことを知っている」とソクラテスは言ったのではない。「私は(或る事柄について)知らないと思っている。(だから話し、聞くのだ。)」と言ったのである。
その亀のような歩みの大切さを忘れている人が多いのではないか、とこの日本のシステムを見ていると思う時がある。
自分が複数の絡みあった複雑なシステムの、どこでどう動か“され”ているのかを知ろうとせずに、システムを破壊しようとしても、ドン・キホーテのようなものではないか。
……以上、長〜いメモ書きでした。。。(^^;
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