軸太さん♪ライブ ― 2008年10月14日
やっぱりそのほうが使いやすいと思う昨今、久し振りの日記です。
そして、これ以上複雑なことはしなくていいので、
シンプルを貫いてほしいと思うのでした。
ところで、タイトル、軸太さんのライブについて日記で書くのは
初めてかもしれません。
私のマイミクさんで、
(「マイミク」という言葉の説明は、もう不要な時代となりましたね)
歌うたい(?)をしていらっしゃる方のライブに、日曜日、行ってきました。
軸太さんのライブには、実は昨年から4回ほど行っていて、
今年は2回目です。(^ ^)
しかし……残念なことに、ライブ休止宣言(!)をされて、
そういう意味でも、今回のライブは私にとって貴重なものとなりました。
正直に書きますと、最初は軸太さんのCDを聴いたとき、
余りピン!とはこなかったのです。
しかし、何度か聴くとその味の深さに気づくことになりました。
私は大抵、最初に音楽を聴くとき、さして「歌詩」に注意を払いません。
けれども、音楽とは不思議なもので、時には総合的なアート
──表現であり得るのです。だから歌詩もまた、音楽なのです。
軸太さんの音楽を歌詩に集約しようとか、そういう意味で書いているのではありません。
私は自身が音楽を作って表現する者ではないけれども、
音楽を聴くのが好きな者としては、確信的に思うことがあります。
それは、言葉、絵、何でも共通することなのですが、
表現をしている側も見たり聴いたり触れたりしている側も、
その表現の中にあるときは、どちらもが創作をしていると感じるということです。
(論拠はここでは省略〜♪)
なおかつ、その或る表現の仕方には、
その仕方にしか為し得ない何かが存在していると感じています。
軸太さんの音楽は、細かい音楽の理論的なことは私には書けないけれど、
確かに、聴く者をも創造へ促す何かがあり、
やはり、音楽にしかできない表現が溢れている、と言えます。
さらに、実は私にとっては、軸太さんの音楽は、
それほど馴染みのある音楽形式ではありません。
(歌(声)とギターが、私の知っている、軸太さんのメインの形です。)
けれども、CDには実験的なことも、
私のような素人にも分かる形で示されており、
ライブでは声とギターという仕方を取っていても、
その経緯(=歴史)は、内在しているものなのだなぁと感じます。
その隠された内在の顕れは、私にとって、重要な要素であるようです。
もちろん、それだけが内在であるはずはありませんが、
そうした何か、多くの隠されたことの顕れが、私にとっては重要なのです。(それがどういう在り方で関係を構築するか、でもあります。)
ライブ活動休止は、残念ではあるのですが、
鍵盤楽器(ピアノ)にも挑戦しているという話も聞き、
何かしら期待をつい、感じてしまいます。(^ ^)
また、軸太さんの音を聴かせていただく日がくるように思います。
最後に……お体大切に!

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