夕凪の街 桜の国 ― 2005年01月25日
読み終わってすぐは、感動が胸の中に静かに湧いたのですが、
じわじわとこの作品の力に圧倒されるように、心の中がこの薄い本の世界で次第に広がっていきました。
読み終えてから、煙草を吸おうと思って、台所へ行きました。
夜中だったので電気を点けようとしていたら、涙が流れて来ました。
皆実さん(「夕凪の街」の主人公)の姿が浮かびました。
心の中は、不思議に、日常と本の世界を行き来しました。
一度、本の世界のほうに意識を向けようと、コントロールしようと思いましたが、
でも、やめました。
流れにまかせてみました。
煙草を吸いながら、泣いてました。
5分か10分か。。。
皆実さんの言葉が思い出されました。
「わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ 思われたのに生き延びているということ そしていちばん怖いのは あれ以来 本当にそう思われても仕方のない人間になってしまったことに 自分で時々気づいてしまうことだ」
「お前の住む世界はそっちではないと誰かが言っている」
「十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て「やった! またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?」
(今は、本を見ながら引用してますけど(^^;)
願わくば、皆実さんが僕の心の中に住んでくれますように。
住み続けてくれますように。
話は重い。でも、作品は不思議と風のように明るく優しい。でもやっぱり重い。
人は時間を生きている。時間を生きるということは、過去を生きることでもあり、未来を生きることでもある。
人はもちろん、今を生きているのだが、今という時間を生きるということは、そういうことでもある。
時間を生きるということは、関係を生きることであり、歴史を生きることである。
いまここに生きるということは、本当は広島を生きていることでもあるし、世界を生きていることでもあるし、戦争を生きていることでもある。
そして、消費社会を享受して生きることでも、もちろんある。
その精神の動きが、動き方、というより精神や意識はあるモノでなく寧ろ動きそのもの、働きそのものなのかもしれないが、その動き、働き方が、
生き方の中から何らかの可能を選ぶ。
その可能は、無数に存在する。
無数に存在する可能があって、それぞれの中に、語弊があるかもしれないが、量的な意味での可能性が現れる。
その可能と可能性の中に、戦争を生きることが含まれている。恐らく。
ただ、時間を生きる僕は、限定された時間を生きているので、つまりは、今の時代、世界のことを、今の時代、世界の言葉で語るしかできない。
でも、時間を生きることが、過去も未来も生き、関係を生きることならば、戦争が自分に伝えられることもできる。
そして、自分が伝えることもできるはずだ。
こうの史代さんは、見事にそれをして下さった。
本当にありがとうございます。m(_ _)m
薄い本だ。なのに、貴重な本だ。
少なくとも、僕にとって。
「桜の国」で、生きることの素晴らしさを感じさせてくれた。
それが、あたたかさを生んでいて、また、爽やかさや喜びを生んでいた。
戦争は続く。でも平和も続く。だから希望も続く。
時間を生きる人間に、時間が持続を保証してくれている。
人間が滅びない間は。。。
皆実さん、僕は忘れやすいから、忘れないように、どうか僕の中に住み続けて下さい。

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